ページの先頭へ

                                            トップページに戻る
少年リスト  映画(邦題)リスト  国別(原題)リスト  年代順リスト

A Boy Called Sailboat セイルボートと呼ばれた少年

アメリカ映画 (2018)

年代不詳、場所不詳の乾燥地の小さな町で、小さな男が偶然見つけた小さなギター〔ウクレレ〕が引き起こす奇跡を描いた、一風変わった映画。この映画は、全編、まだ幼い主人公のセイルボート〔本名不詳〕の目を通して語られる。怖い父、外出恐怖症の母、自己顕示欲顕著な教師、変なサッカー少年に、なぜかべったりの女の子。映画の前半では、それらの登場人物が、セイルボートのぐらつく家を含め、半分コメディのように、そして、若干オーバーに紹介される。そして、セイルボートが、入院中の祖母アブエラから、「その小さなギターで、私に歌を作っておくれ」と頼まれた時、映画は、徐々に一種の寓話に変わって行く。セイルボートは、ギターなど弾けないので、まずは、歌の素材を集める。そして、歌が完成に近づいた時、偶然手に入れたギターの弾き方を教えるCDで演奏法をマスターすると〔そんなことがあり得るかどうかは別として〕、“ぼくのアブエラの歌” が完成し、それを聴いた人は、誰しも心が洗われて別人のようになる。常に無言に近かったセイルボートの家には、笑い声が満ち、彼が住む小さな町の人々は、噂を聞いて “ぼくのアブエラの歌” を聴きに来ては、幸せになって行く。観ていて、初体験で、すがすがしい気分にしてくれる映画だ。唯一、がっかりする点は、“ぼくのアブエラの歌” を聴くことができないこと。その場面になると、440ヘルツの平均律(基準音)が流れる。この世に存在しないほど素晴らしい魂の歌を作曲することなどできないので、代わりに440ヘルツの音を流すことで、神秘性を損なうのを避けたと考えれば、他に選択肢はないのかもしれないが、一度どんな歌なのか聴いてみたかった。

セイルボード(日本語でヨット)というニックネームを持つ小学校低学年のメキシコ系少年が、ある日、家のそばのガラクタ置き場の中で、見事な象嵌装飾を施されたウクレレ(映画の中では、誰もが、“小さなギター” と呼ぶ)を発見する。ちょうどその頃、セイルボードの祖母アブエラの容体が悪くなり、セイルボードは “大きな町” の病院まで両親に連れられてお見舞いに行く。祖母は、息子である “セイルボードの父” には冷淡だったが、孫のセイルボードには、ギターで歌を作るよう頼む。セイルボードは、母が作るピリっと辛いミートボールを学校に持って行き、食べていると、それを見つけた同じクラスのトミーが1個奪って食べ、あまりの辛さに動転した時、誤ってギターの弦を切ってしまう〔違うかもしれないが、映画では何も説明がない〕。怒り心頭のセイルボードの父は、その “怖い外見” でトミーの父を恫喝し、ギター専門店に連れて行き、一番上等の “交換用の弦” を買わせる。その弦には、サービスとして、ギターの弾き方を教えるCDとの引き換え券が付いていた。CDが届くまでの間、セイルボードは、いろいろな機会を捉えて、アブエラへの歌詞のヒントを集めて行く。CDが届くと、彼を片思いしている女の子が、ポータブルCDプレーヤーとヘッドホンを貸してくれ、それを使ってセイルボードはギターの練習に励み、歌も完成する。セイルボードには、その女の子に、最初に歌を聞かせ、女の子は “最高の歌” と絶賛する。次に歌を聞いたのは、セイルボードの両親。これまで、“怖いだけ” だった父と、“気弱で無口” な母は、一気に感情を取り戻し、家の中に笑顔が溢れる。3度目の歌は、セイルボードのクラスの変人っぽい教師と、スクールバスの女性運転手を虜にし、2人が、小さな町の住民に歌を聞くよう勧める。そして、これまで誰も来なかったセイルボードの傾いた粗末な小屋の前には、日ごとに多くの町の人が集まるようになっていく。セイルボードは、完成した歌を早く祖母に聞かせたいのだが、いつも、病気が重いという理由で断られ続ける。そのことに嫌気がさしたセイルボードは、ある日、誰にも内緒で 病院のある “大きな町” に向かって 広大な乾燥地を横断する一本道を歩き始める。それを救ったのは、“大きな町” のラジオ局のラジオパーソナリティ。彼は、車の中でセイルボードの歌を聞き、ショックを受け、直ちにラジオ局に直行する。同じ頃、セイルボードの家に前には、これまでにないほど多くの町の人が、歌を聞こうと集まっていた。この “距離の矛盾” は、ラジオでセイルボードの歌が流れたことで解消する。

主役のセイルボート役は、Julian Atocani Sanchez。情報は一切ない。幼な過ぎて、演技になっていない。

あらすじ

映画の冒頭、ラジオから流れてくる音声が入る。「やあ、みなさん、間違いなく、そこは暑いですね。地獄のように暑く、砂漠のように乾燥しています〔dry as a nun's gusset〕。これで9年目を迎えますが、空からは一滴の雨も降ってきません」。映画の舞台となっている州は不明だが、メキシコ国境に近い乾燥地にある小さな町。主人公のセイルボートのナレーションが入る。「ある日、ぼく、大切なものを見つけた。ぼくのアブエラ〔祖母〕が、いつか言ってた。『あんたは、探してない時に、一番大切な物を見つける』」。セイルボートは、廃棄された プラスチックの雄牛の前に立っている(1枚目の写真)。「その日、ぼくは、何も探してなかった」。その時、“小学校で同じクラスで、いつもセイルボートの家の近くでサッカーボールを蹴って遊んでいるピーティ” の蹴ったボールが雄牛に当り、雄牛はバタンと倒れる。すると、小さなギター〔本当は、4弦なのでウクレレ〕が現われる(2枚目の写真)。「これ、ぼくの友だちのピーティ。いつも、じっと見てる。まばたき できないから」(3枚目の写真、倒れた雄牛の後ろの矢印がギター)〔ピーティは、ドライアイになるので、いつも目に水をさしている〕。セイルボートは、ギターを持って家に向かう。「パパは、静かなトコで暮らしたくて、ここに来た。でも、ぼくが生まれた時には、ここはもう、暑さがとまらなくなって、町の人たちはとっても疲れてた。ぼくは、静かだから、好きだけど」。そして、セイルボートの家が映る。「ぼくが赤ちゃんの時、ぼくらの家は倒れちゃった。だから、パパは、棒をかって〔支って〕倒れないようにしてる〔家を支える角材は、上から緑、白、赤に塗ってあるが、これはメキシコの国旗の色〕。セイルボートはドアの前まで行き(4枚目の写真、矢印は支柱の角材)、中に入る。
  
  
  
  

薄暗い夕方の食卓で、セイルボートは両親について簡単にナレーション紹介。「パパは、馬が好きみたいだけど、いつも考えてるのは、棒のこと」。ここで、怖そうな父の顔が映る。「ママがいつも考えてるのは、他の人がどう思ってるかってこと」。ここで、優柔不断そうな母の顔が映る。「そして、ミートボール」(1枚目の写真、矢印)。この一家の食事はミートボールだけ。その時、父が、「セイルボート、テーブルの上の、この小さなギターは何だ?」と尋ねる。「◆◆の裏で、ぼくが見つけたんだ」(2枚目の写真、矢印、両親の雰囲気がよく分かる)。「英語で言え◆◆の部分がスペイン語〕」。「怒った牛」。「何と美しい小さなギター。何という職人技。何て繊細な象嵌(ぞうがん)。お前、この小さなギターを弾けるんか?」。「ううん。でも、自分で覚えるつもり」。その時、床がきしる音がする。父は、すぐ、「お前、まぐさ桶から戻ってくる時、棒をチェックしたか?」と、セイルボートに訊く。「ううん」。「忘れちゃいかん」。そして、夜になり、セイルボートは、ベッドに横になると、ギターの弦を触って音を出してみる(3枚目の写真)。黄色の点線枠の中は、壁一面に貼られたセイルボート(ヨット)の絵や写真の切り抜き〔映画の邦訳題名をヨットとしなかったのは、セイルボートが名前だから〕。「ぼくのアブエラが、いつか言ってた。『何かが起きると、他のことも起きるかも』」。
  
  
  

ぼくの学校も、やっぱり、いつもはたいてい静か」。そこに、後部座席のドアが両側とも紛失したおんぼろ車〔1950年代のシボレー・ベル・エアー〕に乗せられたセイルボートが、やってきて、専用の駐車場に止まる〔父の職業は、学校の清掃員〕。「だけど、みんなが、静かが好きなわけじゃない。たとえば、ビン先生のように」。セイルボートは、学校にギターを持ってきている。そして、ビン先生のクラスが映る(1枚目の写真、矢印はセイルボート、その右がピーティ、その後ろの赤い帽子の女の子はセイルボートが好き、セイルボートの左でキャンディケインを口に咥えている男の子がトミー)。ビン先生は、蛇の入った布袋を生徒達に見せ、「チビちゃんたち。究極のチャレンジだ。“ビン 対 野獣”。蛇だ。君らは、敵を支配しなきゃならん。なぜ、先生が袋を開けないか分かるかい? 蛇が逃げ出して、誰かの首に噛みつくからかな? そうならないように、支配しなきゃならん。これぞ、適者生存の原則なんだ。君たち、ちっちゃなトラ君たちの中で、ここに来て、この袋に触る度胸がある〔you've got the stones〕子はいるかな?」。そう言いながら、袋を高く掲げると、蛇が袋の中からビン先生のあごを噛む(2枚目の写真、矢印)。
  
  

放課後、セイルボートは 一人校庭のベンチに座り、ギターに触る。他の男の子達は、サッカーで遊んでいる。「ぼくの学校じゃ、物事は、ほとんどいつも同じ。でも、ぼくのアブエラが、いつか言ってた。『物事は変わる』」。その前兆は、ピーティの後ろ席の女の子が、ブランコに乗りながら、じっとセイルボートを見ていること。父の車に乗ったセイルボートは、父から、「今日、電話があって、アブエラの具合が悪い。大きな町まで行って、お祖母ちゃんに会おう」と言われる(1枚目の写真)。次のシーンでは、セイルボートが両親と一緒に祖母の病室を訪れる(2枚目の写真)。父が、スペイン語で、「母さん」と声を掛け、そのあと、英語で、「俺たち、様子を見に来たんだ」と言うが、アブエラは何も答えない。「聞こえてる?」。祖母は電動ベッドで上半身を斜めに起こすと、奇妙な言葉を早口で延々とまくし立てる。「…明るい目の若いインターンだった私は、情欲に気付き、リーダーの淫らな腕の中に身を投げた…」。母は、セイルボートの耳を塞ぐ。それが長く続いた後、父は、祖母が壁の上部にあるTVの文字を読んでいたのだと気付き、TVのスイッチを消す。そして、病室に最初に入って来た時の言葉をくり返し、「医者は、重症だと言った」と付け加える。祖母は、「私は、ティファナ〔アメリカとの国境にあるメキシコの都市〕生まれ。だから病気にはならない」。「だが、医者の連中が」。「大きな家や、新妻を買おうとする医者は、みんなを病人にしてしまう」。「医者は、いつ、退院できると?」。「私は、急いでない。TVを見てたいから」。「他に、俺たちに何かできることは?」。返事がないので、父があきらめて帰ろうとすると、祖母が、「セイルボート」と声を掛ける。そして、英語で、「その小さなギターで、私に歌を作っておくれ」と頼む(3枚目の写真)。セイルボートのナレーションは、以前のアブエラの言葉だ。「何かが起きると、他のことも起きるかも」 。
  
  
  

ピーティが セイルボートの部屋に入る唯一のシーン。壁に一杯貼ってあるヨットの写真を見て、「ボートって、大金だよな」と言う。セイルボートは、「見たり、考えたりするだけなら、お金はいらない」と答える。「なんでそんなに好きなの?」。「好きになるために生まれてきたから」(1枚目の写真)。ここで、古い8mm映像に切り替わる。幼児が描いた絵を見て、右端の男が、「これ、ボートかな?」と訊く(2・3枚目の写真)。左端の女性が、「セイルボート(ヨット)よ」と言う。後ろで見ていた父が、「こいつは、セイルボートを見たことがない」と言い、祖母が睨む。左端の女性が、「この祝福された子は、花のように愛をもたらす」と歌い、それを聞いた父は、幼児を指して、「セイルボートだ」と言い、これが通称となった〔映画の最後になり、彼がヨットの絵を描けたのは、彼のベビーバスケットの覆いの部分に、祖母が、“ヨットが横に映った自分若い頃の写真” を貼ったためだと分かる〕
  
  
  

ここで、再びビン先生のクラス。右の頬には、前回、蛇に噛まれた所に絆創膏が貼ってある。そして、手に持っているのは、薄い紙袋ではなく、プラスチックか厚紙でできた太い筒。ビン先生は、「究極の敵、敗北して、閉じ込められた」と自慢する(1枚目の写真)。そして、「敵は支配された。人類は、森の真の王者だ。ライオンにこんなことができるか? そうは思えんな。百万年前、人類が誕生して以来…」と言いながら、ビン先生は筒の端(“蛇がくぐれないほどの隙間” のメッシュが貼ってある)から、中の蛇を睨む。すると、蛇が隙間から先生の目に向けて毒液を吹きかける(2枚目の写真、矢印)。休憩時間に、セイルボートが校庭のベンチでギターに触れていると、気付かないうちに、女の子が近くのベンチに座り、次いで、セイルボートと同じベンチの端に座り、最後には すぐ横に座る。それに気付いたセイルボートは、始業のベルとともに逃げ出す。
  
  

セイルボートが、廊下のロッカーを開けてミートボールを食べていると(1枚目の写真)、前述のトミーが通りかかり、手を伸ばしてミートボールを1個奪う。そして、「それ何だ、手漕ぎボート?」と訊く〔ヨットより1段レベルの低い舟で名を呼ぶことで、セイルボートをからかった〕。「これ、すごく辛いよ」。トミーは、ミートボールを口に入れ(2枚目の写真)、「なんで、君のギターはそんなにちっぽけなんだ」と言いつつ、ラグビーのヘルメットをギターの前に置く。その途端、あまりの辛さに驚いたところで、終業ベルが鳴り、何が起きたのかは分からない。次のシーンでは、弦が切れたギターを持って、セイルボートが父の車に乗る(3枚目の写真、矢印)。「お前の小さなギターに、何が起きた?」。「お腹の空いた子が、弦を切った」〔映画を観ていても分からないが、倒れた拍子に、ヘルメットが当たったのだろうか? それとも、辛かったので、怒って壊したのだろうか?〕。「どこに行けば、見つかる?」。
  
  
  

一度、手紙を届けにきた男が、ママはミートボール〔不器用〕だから、ミートボールなんか作るなと言って、パパの顔色が変わったことがある。新しくなった配達員は、何も言わずに、ニコニコ手紙を届ける。それ以来、ママは誰とも会わなくなった」。このナレーションとともに、父の運転する車が、トミーの家の前に停まる。父は、セイルボートを連れて玄関に行く。「パパの顔色が、また変わった」。父は、ドアを何度も強くノックする。ドアが開くと(1枚目の写真)、トミーの父親は、息子が教室でしていたように キャンディケインを口に咥えている。父:「あんたは、セイルボートの小さなギターを壊したお腹の空いた子の保護者かね?」。相手の父親は、「トミー」と呼ぶ。「今、Hippos〔ゲーム〕で遊んでる」。父の怖い顔を見て、相手の父親は、もう一度 「トミー」と催促する(2枚目の写真)。「Hippos!」。「数分かかるかもしれません」。しかし、父の顔が怖いので、「何か、いかがですか?」と訊く。父の顔が僅かに下を向く。次のシーンでは、父とセイルボートは、後部座席に、トミーと その父親を乗せ、口にキャンディケインを咥えてギター専門店に向かう(3枚目の写真、矢印)〔後ろの2人が中央に寄っているのは、ドアがないため〕
  
  
  

車が、ギター専門店の前に停まる(1枚目の写真、矢印は、存在しない後部ドア)。店の主人は、「これは、かなり良いものです」と言って、弦の袋をトミーの父に渡す。彼が払おうとすると、後ろにいたセイルボートの父が、「ベストかね?」と訊く。主人は、代わりに別のものを渡し、「こっちには、無料のCDの引換券が付いてます」と説明する(2枚目の写真、矢印)。トミーの父は低額紙幣を出すが、「41ドルです」と言われ、「カードでもいいですか?」と訊き、幸い、受け入れられる。車が、家の前まで戻ると、トミーの父は、逃げるように飛び出て行くが、セイルボートの父は トミーを逃がさず、警告をする。その言葉は、台詞として聞こえて来ないが、代わりに、文字で表示される。「ひとこと言っておく。俺は、ガキの頃、大人の首に一発ぶち込んだ。この車には、ドアがない。これから、セイルボートに会ったら、笑顔になれ。歯を見せて」(3枚目の写真)。解放されると、トミーは車から必死になって逃げ出す。
  
  
  

その日の夜、いつも通り、セイルボートはミートボールの夕食を食べているが、弦が元通りに直ったギターには、引換券が挟んである。その晩、セイルボートは ベッドで寝転んで 引換券に返送先を書き、切手を貼る(1枚目の写真、州名欄が「CN」となっているが、そんな州はない)。そして、学校の廊下にあるポストに入れる(2枚目の写真)。その時、セイルボートの横を、3人の男の子が わざとらしい笑顔を見せながら歩いて行く(3枚目の写真)。「あれから、学校の男の子たちは、何も言わずに、ただニコニコする」。
  
  
  

セイルボートは、学校が休みの日に、少し歩いて、中古の大型物品販売店に行く〔といっても、商品は車3台とヨット1隻のみ〕。「何か1つについて考えると、他のものは聞こえなくなる。ぼくのアブエラが、いつか言ってた。ぼくに、こんなことができるのは、ラッキーなんだって。そして、ぼくはアブエラの歌について考え始めた」。セイルボートはヨットの前に立ってじっと見つめる。それを見つけた店主が出てきて、セイルボートの6mほど後ろに立つと、3分23秒にわたって、延々と商品について 自慢話を始める(1枚目の写真、矢印)〔聴いていて、一番つまらない部分〕。しかし、セイルボートには店主の言葉など一切耳に入らない(2枚目の写真)。「静けさの中で、ぼくはアブエラのための歌のいくつかの言葉を思いついた」。
  
  

家に戻ってきたセイルボートが、棒に 「アリが1匹いるよ」と報告する。父は、すぐさま支柱まで飛んで行き、それが 木のアリだと気付く(1枚目の写真)〔台詞は 「Wood Ant」。これは赤アリで木は食べない〕。さっそく、職業別電話帳で専門の業者を探し出すと、しばらくして、大きな箱を抱えた業者がやって来る。「白アリでお困りですか?」。「木アリ」。「白アリ」。「木のアリ」。業者もこれには困る。業者は白アリ駆除用のトカゲを勧めるが、父はあくまで「木アリ」にこだわり、困った業者は、「動くものなら何でも食べるよ」と言って、一番高価で大きなツノトカゲを売りつける。父は、セイルボートに、隠し貯金箱からお金を取って来させて 支払う。そして、すぐに、トカゲを 支柱の末端を固定している楔に縛り付ける(2枚目の写真、矢印はツノトカゲ)。しかし、それから10秒もしないうちに、上空を旋回していた鷹(?)が舞い降りて来てツノトカゲを捕獲する(3枚目の写真、矢印はツノトカゲ)。業者の車が家の前を通過して帰って行ったのは、その直後だった。「パパは、夜中、棒のトコにいた。次の日のまっ昼間になって、撃ち落とすまで」(4枚目の写真、矢印は鷹)。
  
  
  
  

ぼくは、アブエラの歌のための言葉が集まったので、小さなギターについて考え始めた」。そして、セイルボートの元に、ギターの弦の会社から 1枚のCDが届く。それをギターと一緒に学校に持って行ったセイルボートは、ランチテーブルの上に置く。すると、いつもの女の子が ポータブルCDプレーヤーを持って通りがかり、CDを見ると(1枚目の写真、黄色の矢印はCD、ピンクの矢印はポータブルCDプレーヤー)、「そのCDに音楽入ってる?」と訊く。そして、セイルボートが黙っているのに、「確かめてみないと」と言うと、ポータブルCDプレーヤーとヘッドホンを置いていく。セイルボートが、校庭のベンチに座り、ヘッドホンを付けてCDを再生すると、それは、初心者にギターの弾き方を指導する内容だった。「これらの音符は、1オクターブを表します」(2枚目の写真)「強い感情を抱いてみましょう。それでは、その感情を表す音符を見つけるのです。その感情をうまく伝える音符を連ねたものが音楽なのです」(3枚目の写真)。こうして、徐々に、セイルボートは、ゼロからギターを学んでいく。
  
  
  

そのあと、上達したセイルボートが、いろいろな場所でギターを練習する場面が挿入される(1・2枚目の写真)。
  
  

ある日、セイルボートが、校庭のベンチで、ヘッドホンを脇に置いてギターを弾いていると、女の子が寄って来て、「わたしのポータブルCDプレーヤー、使い終わった?」と訊く(1枚目の写真)。「助かったよ」。「CDに何か音楽入ってた?」。「男の人が、ギターを教えてくれた」。「覚えたの?」。「ぼくのアブエラに歌を書いた。病気なんだ。歌のこと、知ってる?」。「パパは、テッド・ニュージェントやスージー・クアトロが好きだけど、わたしの好きなアーティストは、ビートルズとジョン・トラボルタね」。「ぼくの歌を聴かせたら、どう思うか言ってくれる?」。「嬉しいわ」。「ぼくのアブエラが、いつか言ってた。『ものごとは、変わる』」。セイルボートは弾きながら歌い始めるが、観客には440ヘルツの音〔楽器をチューニングする際の国際的な平均律〕が聞こえるだけ(2枚目の写真)。女の子の顔が感動に変わり、いつもはボールを蹴ることしかしないピーティまでが、足をとめて聴き入る。そして、440ヘルツの音が終わると、女の子は、「これまでで聴いた最高の歌よ。メロディーは、ザ・ビーチ・ボーイズよりずっと素敵で、歌詞は誰も聞いたことのないものだったわ」と絶賛(3枚目の写真)。ピーティも、「その歌、好きだ」と言う。
  
  
  

その日、いつものように父と一緒に車で家に帰って来たセイルボートは(1枚目の写真)、家の中に入ると、「アブエラに会いに行ける?」と父に訊く。父は、「今日、病院から伝言があった。お前のアブエラは重体だ」。「でも、ぼく、アブエラのための歌、作ったよ」(2枚目の写真)。「昏睡状態だ」。母は、「別の機会に行きましょ」と言った後で、さらに、「練習のために、今、私たちに聴かせてくれる?」と頼む。そこで、セイルボートはギターをかまえる。父は、あまり乗り気でなさそうに、イスの背に手を置く(3枚目の写真)。
  
  
  

そこから、再び440ヘルツの音が始まる(1枚目の写真)。父は、イスの背から手を放し、イスに座って真正面から息子を見る。母の目からは次第に涙が滲み出て来る。父の顔は驚きに変わり、母の顔は歓喜へと変わる。演奏が終わると、母は感激のあまり泣き出し(2枚目の写真)、父の顔には、映画で初めての笑顔が浮かぶ(3枚目の写真)。
  
  
  

その時、ボールが何かに当る音がし、画面が切り替わり、迷惑少年のピーティの蹴ったボールが支柱に当たって倒す(1枚目の写真、矢印はボール、その右に支柱が倒れている)。支柱を失った家は、30度傾いて止まる(2枚目の写真)。家の中は、物が落ちてメチャメチャになったが、父が最初に発した言葉は、「セイルボート、小さなギターは大丈夫か?」だった。セイルボートが弦を鳴らして「うん」と答えると、「〔Dios〕の歌だった」と言う。
  
  

父は、車と屋根をロープで結びつけ、セイルボートにアクセルを踏ませる(1枚目の写真)。そして、車の前進力で何とか家が起き上がると、父が、素早く支柱を入れ戻し、支柱と地面の境に楔を打ち込む(2枚目の写真、矢印は金槌)。そして、支柱の固定が終わると、車をストップさせるため、空に向けて拳銃を撃つ(3枚目の写真、黄色の矢印は拳銃、青の矢印は車と屋根をつなぐロープ)。家の修復が終わると、父は、「アブエラの目が覚めたら、できるだけ早く歌を聴かせよう」と言う。そして、翌朝 セイルボートが起きてくると、いつもは寡黙な母の顔には笑顔が溢れ、父は、「お前の歌のお陰で、すごい夢を見た」と言い、その喜びを語る(4枚目の写真)。父の顔も、始終笑っている。セイルボートの歌がもたらした、嘘のような魔力だ。
  
  
  
  

ビン先生は、授業が終わると、子供達をスクールバスに乗せて、タバコ工場の見学に連れて行く。その帰り、車内では、子供達があまりに騒がしいので(1枚目の写真)、ビン先生はサッカーボールを取り上げ、「もう十分だ。目ん玉〔ピーティのこと〕座れ、サウス〔セイルボートのこと、南の出身なので〕みんなをおとなしくさせたいから、何か弾けよ」と言う。そして、三度目の440ヘルツの音(2枚目の写真)。子供達は静まり(3枚目の写真)、ビン先生は驚き(4枚目の写真)、運転手の女性は、アクセルを踏むのを忘れ、バスは自然に停まる。演奏が終わり、運転手は涙をぬぐい、ビン先生は、「いったい何をした?」と訊くと、カツラを外す。
  
  
  
  

学校の人たちが、他の人に、アブエラの歌について話した」。このナレーションに続き、①運転席から1軒の家の男性に声をかけるバスの女性運転手、②TVに夢中になっている父親の手を引っ張る女生徒、③恋人に一緒に来てくれと電話するビン先生が映る。そして、傾いた家のキッチンで、両親が仲良くミートボールを作っていて、ふと父が窓の外に目をやると、家の前の長い材木ベンチに座って演奏するセイルボートの前に、12人の町の人が並んでいる(1枚目の写真、矢印はセイルボート。右からビン先生、恋人、TVに夢中だった父と、その娘、1軒の家の男性と、バスの女性運転手)。そして、四度目の440ヘルツの音。ビン先生は恋人と肩を寄せ合っている。家の中では、父が母を呼び寄せ、“一体何が起きているんだろう” という顔(2枚目の写真)。やがて、演奏が終わり、人々は抱き合ったり、拍手したりする(3枚目の写真、矢印はセイルボート)。セイルボートが家に入って来て 食卓テーブルに座ると、父は、「今、あそこにいた人たちは、誰なんだ?」と訊く。「学校の人もいれば、ぼくの歌を聴きにきた人もいる」(4枚目の写真)。両親は、それを聞いて笑顔になる。
  
  
  
  

翌朝、車の中で、父はまた楽しかった別の夢についてセイルボートに話す。「ぼく、そこにいた?」。「ああ」。「アブエラはいた?」。夢には出て来なかったので、父は、しばらくして、「うん」と答える。セイルボートは、「ぼくたち、病院に行けば? パパは夢の話をして、ぼくは歌えるから」と言うが、父は、「ああ、だがその前に、アブエラがもうちょっと休むまで待たないとな」と言い、セイルボートの不満が増す。「次の日、より多くの人が、アブエラの歌のことを知った」。「セイルボートが魔法の歌を書いた」という噂が、子供達の間で口伝えに広まって行く。ランチ・ルームでは、セイルボートは全員の注目の的になる。ピーティは、「君、ボスみたいだ」と言う。それを聞いた、いつのも女の子が、「ブルース・スプリングスティーンよ〔世界的なシンガーソングライター〕」と言う。そこに、ビン先生が来て、「今夜も演奏する?」と、にこやかに訊き、「うん」という返事に、喜んで去っていく。「そして、みんなは外に来た」(1枚目の写真、矢印はセイルボート、右は女の子)。演奏シーンはない。演奏が終わり、セイルボートが廊下を歩いて行く。「アブエラの歌の前、学校のみんなは、ぼくには静かだった〔セイルボートの父に対する恐怖で〕アブエラの歌の後、みんなは、また静かになった〔魔法の歌の作者に驚嘆して〕」(2枚目の写真)「静かになり方は違うけど」(3枚目の写真)。セイルボートは、待っていた父の車に乗り込む。父は、「もっとたくさん、聴きに来ると思うか?」と訊く。「うん」。
  
  
  

その日の午後の聴衆は19名。セイルボートが材木ベンチに向かって歩いて行くと拍手が起きる(1枚目の写真、矢印)。内向的だった母は、勇気を出して、夕食用に作ったミートボールを持ってドアから外に出る(2枚目の写真)。そして、聴衆に向かって歩いて行くが、慣れていないので 緊張するだけで、どうしたらいいか分からない。そのうちに1人の女の子がミートボールを1個取って父親に渡す。その男性が一口食べ、「わお、すっごく辛いが、めちゃ美味い」と叫んだので、ミートボールはあっという間になくなり、母の顔に笑顔が浮かぶ(3枚目の写真)。その後の演奏会がどうなったのかは紹介されないが、家に戻った母は 人前にでることができて、とても幸せそう。
  
  
  

翌日は、セイルボートの通う学校のサッカー・チーム 「ガラガラヘビ」と、他校の「プレーリードッグ〔リス科の哺乳類〕」との試合の日。試合の前のランチ後に、セイルボートは校庭のベンチで演奏するはずだった。しかし、20名以上が集まっているのに、セイルボートの姿はどこにもない(1枚目の写真、ベンチに座っているのは、女の子と、ピーティ)。その頃、セイルボートは、トイレの便器に座って、ミートボールを食べていた。授業が始まっても、セイルボートの席は空いたまま。セイルボートは、トイレを抜け出すと、授業中で誰もいない廊下を歩いて玄関に向かう(2枚目の写真)。そして、校庭を横切る姿が 遠くから映る。そして、次の場面、何もない乾燥地を一直線に進む道路を走る1台のシボレー・ベル・エアー〔セイルボートの父の車と同型だが色が違う〕。その前方に、道路際を歩く1人の子供が見えてくる(3枚目の写真、矢印)。
  
  
  

原野の真ん中で子供の1人歩きは危険極まるので、車は、セイルボートの前で停まる(1枚目の写真)。「こんなトコで何してるんだい?」。「ぼくのアブエラに会いに、大きな町まで行くの」。運転していた男は、「大きな町だって? 俺は、アブエラが何かは知らんが、街に向かってる。よければ、お乗り」と言い、ドアを開ける。男は、車を出すと、「地獄のように暑く、砂漠のように乾燥してる〔冒頭のラジオと同じ〕。君はラッキーだぞ。出発してから他の車なんか見なかったからな」。そのあと、男は、旅の目的を話す。「こんなトコまで何を買いに来たと思う? 全く変な話だが、ヨットなんだ! 全く信じられん」。その話が済んだ後で、男はセイルボートに名前を訊く。「セイルボート(ヨット)」と答えるが、今までヨットの話をしていたので、男は、名前を言ったのだとは思わず、話を蒸し返したのだと勘違いし、もう一度名前を訊く。そこで、セイルボートは、女の子からもらった名前を口にする。「ブルース・スプリングスティーン」。今度は、男がびっくりする。「こりゃ、幸運だな。砂漠の中をここまで走ってきて、ブルース・スプリングスティーンって名の、小さなギターを持ったメキシコ人の子供と会うなんて」。そして、「その小さなギターで、何するんだい?」と訊く(2枚目の写真)。セイルボートは、ギターを手に取る。次のシーンでは、もうアブエラの歌を弾き終えたらしく、車は停まっていて、男が帽子を取って胸に当てる(3枚目の写真、矢印)〔心から歌に脱帽した〕。男は、「俺の職業知ってるか?」と訊く。
  
  
  

話は、同時進行で進む。セイルボートの家では、家の前に集まってきた町の人の多さに、母が、ミートボールを大量に作るため、大きな鍋を出している(1枚目の写真、矢印)。そして、父が学校から車で帰ると、目の前に並んだ大勢の人を見てびっくりする(2枚目の写真)。しかし、学校にもいなかったセイルボートは、家の中にもいない。大勢の人を放っておくことはできないので、2人で大量のミートボールを運び、待っている人々に食べてもらう(3枚目の写真)。
  
  
  

一方、男は、街に着くと、ラジオ放送局の前に車を停める。セイルボートが、「アブエラに行かなくちゃ」と言うが、男は、「なあ、ブルース、アブエラなら何とか見つけてやる。だが、お願いだ、今は一緒に来て欲しい。お前さんが、さっきやったこと… あれは… みんなが、ああいうのを聴きたいと、死ぬほど待ってるんだ」と言った次に、思わぬことを付け加える。「ちゃんとお礼はする、ブルース、何でも。何が欲しい?」。カメラは、車の外側から、セイルボートが男に何か告げるのを映すが、内容は分からない。「本気か? それが欲しいのか? 分かった。それで手を打とう」。2人は握手する(1枚目の写真)。そのあと、2人は車を降り、男の案内でスタジオの隣の部屋に行く。男は、セイルボートを その部屋に残し、「ここで待っててくれ。すぐ戻る。いいね?」と言って(2枚目の写真)、スタジオに入る。男は、女性のラジオパーソナリティに、「どう言えばいいのか分からんが… 俺は、さっき、すごい体験をした。口では言えん。俺を信じてくれ」と話す。横から、「30秒」の声がかかる。本番までの時間だ。男は、「なあ、マイクから手を放してくれんか」と、無理な願いを口にする。女性は、「明日の交代まで待てないの?」と訊く〔男は、男性のラジオパーソナリティだった。だから、映画の冒頭のラジオから流れてくる音声で、「地獄のように暑く、砂漠のように乾燥しています」と、さっき、セイルボートに話したのと同じ言葉を使った〕。「頼むよ」。「無理よ」。オン・エアが数秒に迫ったので、男は、「どうかしてるんじゃない」と、追い出される。隣の部屋に戻った男に、セイルボートは、「ぼくに弾いて欲しいの?」と尋ねる。「ああ」。「あそこで?」。「ああ」。「そしたら、アブエラに行ける?」。「ブルース、俺には、アブエラが何のことか分からん。助けてやりたかった。だが、できんのだ。悪いな」。それを聞いたセイルボートは部屋から出て行く。そして、どうやって入ったかは映されないので分からないが、女性のラジオパーソナリティが話をしている隣の部屋に入り込み、ギターを弾き始める(3枚目の写真)〔440ヘルツの音はなく、演奏とは無関係のギターの曲が流れる〕。その歌を聞いたスタッフが飛んできて、あまりの素晴らしさに、マイクを向け、音量を上げる。男性のラジオパーソナリティは、改めて曲を聴き、至福の時に浸る(4枚目の写真)。
  
  
  
  

ここも、話は、同時進行で進む。セイルボートの家の前に集まった人々が ミートボールを食べ終わると、一人の女性が、「済みません、坊やは演奏するんですか? 私、ホームシックになっちゃって、聴けば立ち直れると聞いたので」と質問する。困った父は、「ええ」と嘘を付く。この会話を聞いた人々から喜びの声が上がる。すると、その中に、ラジオを持ち、しかも、街のラジオ局からの放送をつけっ放しにしている男がいる。しばらくすると、9年間降らなかった雨が、ポツポツと降り始める。すると、さっきの男がラジオを高く掲げ、「彼だ! 彼だ!」と叫ぶ。雨はますます激しく降りしきり、その中で、人々は、ラジオから流れるセイルボートのアブエラへの歌に心酔する(1・2枚目の写真)。それを見た父は、母にキスをして喜び合う(3枚目の写真)。サイドストーリーになるが、学校での「ガラガラヘビ」 対 「プレーリードッグ」の試合は、いつもは出場できないドライアイのピーティが、豪雨の中でもプレーできると分かった監督が、急きょ正規の選手として投入し、9ゴールして勝利する。
  
  
  

セイルボートは、土砂降りの中、自力で歩いて病院まで行く(1枚目の写真)。祖母の病室に行くと、彼女は意識不明の昏睡状態で、脈だけはある。セイルボートが入って来たことに気付いた医師は、「やあ、ここで何してる?」と訊く。「ぼくのアブエラのために来たんだよ」。「ここにいちゃいけないよ、坊や」。「でも、アブエラはぼくを待ってるんだ」(2枚目の写真)。「いいや、誰も待ってないよ。何日も、昏睡状態だったから」。「アブエラは、ぼくが歌うのを待ってるんだ」。「そうかもしれんが、聞こえないよ」。だが、セイルボートの真剣な顔を見た医師は、演奏を許可する。演奏が始まると、今度は、440ヘルツの音。「ぼくは、アブエラの歌を弾くことができた。彼女は動かなかった。彼女は何も言わなかった。でも、彼女は待っていた」。そして、演奏中に心臓が止まる(3枚目の写真、矢印はすべてが横線になった計器)。曲が終わり、セイルボートが医師を見上げると、彼は、感動して「ありがとう」と言うと、両手で顔を覆って泣き出す。セイルボートは、ギターをアブエラのベッドの後ろに置いて、病院から出て行く。「ぼくは、二度とアブエラの歌を弾かなかった」。
  
  
  

ラジオの女の人は、ぼくらに手紙をくれ、ぼくの曲をラジオで歌い続けた。時々、彼女は、手紙とお金をくれ、パパは、いるものを買った。棒は今、アリに食われない 最高の木になった(1枚目の写真)〔中央の白い部分に付いているのは、国旗の中央にある “ワシがヘビをくわえて湖沼のほとりのサボテンにとまっている絵” を模したもの〕。パパは、ぼくを大きな町につれていった男の人に話し、ぼくのヨットのためにお金を渡した。ぼくを大きな町につれていった男の人は、ぼくとの約束を守った。今、パパの車には、すべてドアがある(2枚目の写真、矢印は男の車の後部ドア)」。セイルボートは、いつもの女の子とヨットの上に乗り、ラジオパーソナリティの女性から贈られたレコードを一緒に聴いている(3枚目の写真)。ラストの4枚目は、主要な登場人物がヨットの周りに集合した写真。
  
  
  
  

   の先頭に戻る              の先頭に戻る
  アメリカ の先頭に戻る          2010年代後半 の先頭に戻る